川端康成、高浜虚子。
日本を代表する作家・俳人が「龍口園」を描写する言葉を残している。
園は彼らの感性にまったく合わなかったと思われ、大変残念な内容ではあるが記録する。
1.川端康成
『海の火祭』 昭和2年8月~同年12年、
「中外商業新報(現在の日本経済新聞)」にて連載。
川端にとって初の長期新聞連載小説。執筆時28歳。
龍口園が登場するのは、主人公一行が、藤沢駅から江ノ電に乗り、
片瀬の燈籠流しを見に行く場面である。
「高砂、川袋、藤ヶ谷 ― 藤ヶ谷で松林が広い葭原(よしはら)に
開けて、明るい眺めを海鳥が飛んだ。鵠沼、新屋敷、濱須賀、
そして江の島龍口園の朱塗りの塔が月のない空に伸び上つて
見えた。初めての人はこの俗惡な塔を江の島の社か寺かのものと
思ひちがひする。」
高い建物が少なかった当時、電車からは、地上に立つ巨大なエレベーターと山上の展望台が同時に見えたと思われるが、「塔」という表現と、地上に立つエレベーターが山を背にすることを考えると、「空に伸び上がってみえた朱塗りの塔」は山上の展望台を指すだろう。
龍口園の姿がモノトーンの写真にしか残っていない現在、「色」をあらわす記述は重要である。
文学作品での「朱塗り」という表現がリアルなものかはわからないが、当時の彩色絵葉書にも、わずかではあるが展望台が赤く塗られたものがある。
絵葉書の彩色の正確さもやはり定かではないとはいえ、展望台もエレベーターも外観に寺院モチーフがみられることを考えると、寺社に使われることの多い「赤色」がつかわれていた可能性は高いように思う。(ちなみに、白黒写真をカラー化するアプリも試してみたが、色を再現できなかった)
追記…塔・エレベーターの色について
・エレベーターが昇降する筒の部分は赤に近いオレンジ色
上の屋根のようなところは金色っぽい色
龍口園近くに住まわれ、実際に乗った方の証言
・塔は赤色(展望台、エレベーターのどちらかは不明)
『現在の藤沢』昭和8年 内記述から
加藤徳右衛門(藤沢町会議員・郷土史家)
「龍口園の赤き塔は更に其趣を増し…」
2.高浜虚子
「嘗て素十君其他の人と片瀬の龍口園といふところに遊んだことが
ある。其處は非常に俗なところで一行が皆失望した。」
『吟行に就いて』 昭和6年10月
「嘗て私達は江の島の對岸にある片瀬の龍口園といふところへ吟行に
行ったことがあります。ところが其龍口園といふ所は芝居の舞臺に
ある大道具みたいな、安っぽいけばけばしい建物が建って居る
許かりで、あたりには之といふ草花があるわけでも無く、又展望も
単調で殆ど愛想が盡きる様な所でありました。(中略) さうして
斯る龍口園といふ様な俗悪で殺風景を極めた處でも、猶吟行に来た
お蔭でかかる句を拾い上げ得た事に満足を得た次第であります。
上記2作品の記述は、同じ吟行での感想だろう。